ディルクシャと洪蘭坡家屋

私の職場は社稷洞にある。朝鮮時代、国の豊作を祈った祭壇である「社稷壇」があるところで、街歩きをするにも持ってこいの場所。それで、集中力がなくなってくるとときどき散歩に出たりする。


散歩のコースとしてよく行くのが、「ディルクシャ」と「洪蘭坡(ホン・ナンパ)家屋」。ある日、雪が降って午前中から積もりだしたので、雪をかぶった「ディルクシャ」と「洪蘭坡家屋」を写真に撮ろうと昼休みに出かけてみた。


まずはディルクシャへ。ディルクシャは、3・1運動を初めて世界に知らせたアルバート・テイラーというアメリカの事業家兼ジャーナリストが彼の妻と住んでいた家。ディルクシャというのは「喜びの心の宮殿」を意味するヒンディー語で、インドにある「ディルクシャ宮殿」から名前をとったという。

美しいレンガ造りの家だが、主人がこの家を出た後、戦争などで避難してきた人たちが不法占拠したまま放置されている状態だ。ソウル市が文化財に指定しようとしたものの、現在住んでいる人たちの移住問題で霧散している状態だという。


最近、韓国近代史についての本を読んでいるが、どうせならこのディルクシャについての本も読んでみようと思い、テイラー氏の夫人であるメアリー・リンレイ・テイラー女史の自伝「琥珀のネックレス」を読んでみた。

(韓国語の翻訳本は「ホバク・モッコリ」なのだが、「ホバクといったらカボチャ? ハロウィンか?」と思ったけど、琥珀だったという…笑)

テイラー夫人はイギリスの裕福な家で生まれた演劇俳優で、巡回公演先の日本でテイラー氏と出会い、インドで結婚式を挙げ、テイラー氏が金鉱を営んでいた韓国で生活した。日本統治時代の韓国の様子がこの本に描かれているが、韓国でも日本でもない観点からの記述が新鮮だった。また、日本統治時代に韓国で西洋の人たちがどのような生活をしていたのか、当事者が語っているため、とても興味深い。

あまりにも多くの出来事が起こっていて、代表的なエピソードを紹介するのも難しいが、興味があればぜひ読んでみることをお勧めしたい。



次は、ディルクシャから歩いて3分もかからないところにある「洪蘭坡家屋」へ。「故郷の春」、「鳳仙花」などの歌を作曲した作曲家の洪蘭坡氏が晩年まで住んでいた家で、1930年代にドイツ人が建てたドイツ式の煉瓦造りの建物。

展示館になっているが、今まで何度も訪れていながらも、中に入ったことがなかった。平日の昼しか開いていないので、時間が合わなかったのだ。でも、この日は入り口が開いていて、中からピアノの音が聞こえる。

入り口で入ろうかどうしようかと迷っていると、案内のおじさんがドアを開けて中に入るように言ってくれた。

中は洪蘭坡氏の生涯を紹介する展示館となっていた。洪蘭坡氏の出版した本や楽譜などが展示されていて、パネルで説明している。さきほどのおじさんが「今日、最初のお客様です。説明しましょうか?」といって、洪蘭坡氏の生涯を簡単に説明してくれた。

洪蘭坡氏は幼い頃から音楽の才能に恵まれ、父の反対を押し切って、東京へ音楽の勉強に行く。20代で彼の代表作である「鳳仙花」や「故郷の春」を作曲したという。日本でもカルテットを結成したり、教壇に立つなど活発に活動していたが、日本で独立運動をしたということで、日本の警察に捕らえられ、拷問まで受けることになる。拷問の末、洪蘭坡氏は親日的な歌をつくることを強制されてしまう。その後、帰国してこの家に住んでいたが、日本で受けたひどい拷問の後遺症によって43歳の若さでこの世を去る。

「鳳仙花」や「故郷の春」は教科書にも載っていて、韓国人だったら誰でも知っている愛唱歌だが、洪蘭坡氏が親日的な活動をしたということで、現在はそれらの歌が教科書に載っていないのだという。

熱く語るおじさんの説明のBGMのようにして、もう一人の方が洪蘭坡氏の作曲した曲をピアノで弾いてくれていた。この空間で、洪蘭坡氏の生涯の話を聞きながら、洪蘭坡氏の曲に浸る時間。悲しくも美しい時間だった。

おじさんによると、ピアノを弾いてる白髪の女性はなんと洪蘭坡氏のお孫さんなんだという。写真を撮らせていただくと、「光栄です」と謙遜された。

おじさんはもう少し解説したかったようだったが、昼休みの時間に出てきたので、また来ることを約束して出てきた。

落ち着いたいい空間だったので、また来てみたい。今度もまた、昼休みだな…。

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